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星空出版 HOSHIZORA PRESS

評論・連載

クレバス

下代沢侯二
第五章をXでシェア
第 五 章 第4章 水槽の魚はガラスを壁だと思っている

第4章 水槽の魚はガラスを壁だと思っている
― メディアと広告が完成させた構造

第3章で、教育が「教えないこと」によって格差を固定する装置だと書いた。だが教育だけでは、この構造は完成しない。

人間は大人になる。学校を出る。社会に出れば、学校で教わらなかったことに気づくチャンスがあるはずだ。職場で、書店で、インターネットで。自分が何を知らされていなかったかを知る機会は、本来いくらでもある。

だが、ほとんどの人間はそこにたどり着かない。

なぜか。学校を出た人間を待ち受けているのが、メディアと広告だからだ。

テレビをつける。朝のニュース番組がある。政治家の失言、芸能人の不倫、天気予報、今日のラッキーカラー。昼にはワイドショーがある。事件の犯人探し、街角インタビュー、お得なスーパーの特売情報。夜にはドラマとバラエティがある。笑って、泣いて、明日も頑張ろう。

この中に、複式簿記の話は出てこない。株式の構造的な非対称性の話も出てこない。「あなたの給料はなぜその金額なのか」という問いも出てこない。出てこないどころか、そういう問いを考える時間そのものが奪われている。

朝から晩まで情報が流れ込んでくる。ニュース、SNS、動画、広告。常に何かを見て、何かを聞いて、何かに反応している。忙しい。頭が休まる暇がない。

だが立ち止まって考えてほしい。その「忙しさ」は、誰が作っているのか。

テレビ局は広告で成り立っている。広告主は企業だ。企業は、商品を買ってくれる消費者を必要としている。つまりテレビの存在理由は、視聴者を消費者にすることだ。視聴者に考えさせることではない。

これはテレビに限らない。ウェブメディアはクリック数で稼ぐ。クリックされる記事とは、感情を動かす記事だ。怒り、驚き、不安、共感。考えさせる記事ではなく、反応させる記事が収益を生む。SNSのアルゴリズムも同じだ。滞在時間を最大化するために、あなたの感情を揺さぶり続ける。

気がつけば、一日が終わっている。何かをたくさん見た気がする。何かをたくさん知った気がする。だが「自分はなぜこの生活をしているのか」という問いには一ミリも近づいていない。

情報は大量にある。だが構造を見せる情報がない。

ここで、広告の話をする。

広告は「商品を知らせるもの」だと思われている。新しいビールが出ました。新しい車が出ました。便利な保険があります。情報の提供。それ自体は何も悪くないように見える。

だが、広告の歴史を少しだけ遡ってみる。

二十世紀初頭、アメリカの広告業界にエドワード・バーネイズという男がいた。心理学者フロイトの甥だ。バーネイズは、広告の目的を「商品を知らせること」から「欲望を作ること」に変えた。

それ以前の広告は、機能を伝えていた。この石鹸は汚れが落ちます。この靴は丈夫です。事実を述べて、判断は消費者に委ねる。バーネイズはそうしなかった。彼は「この石鹸を使うと、あなたは美しくなる」と言った。石鹸の機能ではなく、消費者の不安に訴えた。あなたは今のままでは足りない。この商品を買えば、足りないものが埋まる。

これが百年間、改良され続けた。

今のあなたの一日を振り返ってほしい。朝、スマートフォンを開く。広告が出る。電車に乗る。中吊りがある。動画を見る。冒頭に広告が流れる。一日に浴びる広告の数は、推計で数千件とも言われている。そのほぼすべてが、同じメッセージを変奏している。「あなたは今のままでは足りない。これを買え。」

足りない、足りない、足りない。朝から晩まで「足りない」と言われ続ける。

その結果、何が起きるか。

人は稼いだ金を使う。使わなければ「足りない」ままだから。新しい服を買い、新しいスマートフォンに換え、旅行に行き、保険に入り、ローンを組んで家を買う。収入が増えても支出が追いかけてくる。いつまで経っても楽にならない。

なぜ楽にならないのか。楽にならないように設計されているからだ。

消費者が満足したら、次の商品が売れない。だから広告は消費者を永遠に満足させないようにできている。去年のモデルは古い。隣の家族はもっといい車に乗っている。あの人はあんなに輝いているのに、あなたはどうだ。比較と不安を燃料にして、消費のエンジンを回し続ける。

資本家は生産する側にいる。労働者は消費する側にいる。労働者が働いて得た賃金は、消費を通じて資本家の手に戻っていく。資本家はその金でまた生産し、また広告を打ち、また労働者に消費させる。

金は円を描いている。だがその円の中心にいるのは、常に資本家だ。

ここまでの三つの章で書いたことを整理する。

第2章。産業革命が「代替可能な労働者」を大量に作った。第3章。教育が「疑問を持たない労働者」を再生産し続けた。そしてこの第4章。メディアと広告が「消費し続ける労働者」を完成させた。

作る仕組み、育てる仕組み、使う仕組み。この三つが組み合わさったとき、一つの閉じた系が完成する。

水槽の魚は、水槽の外を知らない。ガラスにぶつかっても、それを壁だとは思わない。水はあるし、餌はもらえるし、他の魚もいる。不自由だと感じる理由がない。

不自由だと感じる理由がない、というのが最も完璧な不自由だ。

この精巧に閉じた世界が、現代社会の正体だ。次の章で、それを一枚の絵として描く。

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