第2章 煙突の煙は上にしか昇らない
― 産業革命――資本家と労働者の誕生
帳簿が王冠を奪った後、次に来たのは機械だった。
1769年、ジェームズ・ワットが蒸気機関を改良した。これ以前にも蒸気機関は存在していたが、ワットの改良によって初めて「使い物になる動力」が生まれた。炭鉱の排水ポンプに使われていた技術が、紡績機を回し、鉄を打ち、やがて機関車を走らせた。
人間の筋力に頼らなくても、ものが作れるようになった。
この一文の意味を、多くの人は軽く見る。だがこれは、人類史上最大の断絶の一つだ。それまでの世界では、ものを作るには人間の手が必要だった。一枚の布を織るにも、一本の釘を打つにも、人間が動かなければ何も生まれなかった。
蒸気機関は、その前提を壊した。機械が動く。人間は、その機械に材料を入れて、出てきたものを取り出すだけでいい。
ここで何が起きたか。
帳簿を持っていた商人たちは、すぐに気がついた。機械を買える者が勝つ、と。一台の紡績機は、百人の手織り職人より多くの布を、速く、安く作る。機械を持つ者と持たない者の間に、生産力の圧倒的な差が生まれた。
ここに「資本」という概念が明確に姿を現す。
資本とは、金のことではない。正確に言えば、「金を使って生産手段を所有し、その生産手段がさらに金を生む」という循環のことだ。機械を買う。機械が布を作る。布を売る。得た金でもう一台機械を買う。この循環を回せる者が資本家であり、回せない者が労働者だ。
手織り職人は、どれだけ腕が良くても、機械には勝てない。彼にできるのは、機械の前に立って、資本家に雇われることだけだった。自分の技術で独立して食っていた人間が、他人の機械の歯車になった。
これは比喩ではない。文字通り、歯車になったのだ。
産業革命期の工場を想像してほしい。巨大な機械が並び、蒸気と騒音が充満している。そこで働く人間は、機械のリズムに合わせて手を動かす。朝六時から夜八時まで。休憩は三十分。子どもも働く。機械に手を挟まれて指を失う者がいても、代わりはいくらでもいる。
なぜ代わりがいくらでもいるのか。機械を使う仕事に、熟練は要らないからだ。
ここが産業革命の本質だ。
蒸気機関以前の世界では、ものを作る力は人間の身体に宿っていた。鍛冶屋は何年もかけて鉄を打つ技術を身につけた。織物職人は糸の張り具合を指先で知っていた。その技術は簡単には真似できない。だから職人は、ある種の交渉力を持っていた。「俺の代わりはいない」と言える力だ。
機械が、その言葉を無効にした。
紡績機の前に立つ仕事に、十年の修行は要らない。三日で覚えられる。つまり、あなたの代わりは三日で育つ。この事実が、労働者の立場を根底から変えた。
賃金とは何か。経済学の教科書には様々な説明が書いてある。だが本質は単純だ。賃金とは「あなたの代わりを見つけるコスト」だ。代わりが見つかりにくければ賃金は上がる。代わりがすぐ見つかるなら賃金は下がる。産業革命は、ほぼすべての肉体労働において「代わりはすぐ見つかる」という状態を作り出した。
結果、何が起きたか。
資本家は機械を買い、工場を建て、労働者を雇った。労働者は朝から晩まで働き、生きていける最低限の賃金を受け取った。生きていける最低限、というのは文字通りの意味だ。死なない程度。それ以上払う理由がない。代わりはいくらでもいるのだから。
資本家が得た利益は、次の機械に投資された。工場は拡大し、生産量は増え、利益はさらに膨らんだ。労働者の賃金は変わらない。富は、煙突の煙のように上へ上へと昇っていく。下には降りてこない。
これが「煙突の煙は上にしか昇らない」という意味だ。
産業革命がもたらした最も残酷な変化は、工場でも長時間労働でもない。「あなたは交換可能である」という事実を、人類の大多数に突きつけたことだ。
封建時代の農民は貧しかった。だが、自分の土地を耕し、自分の作物を食べていた。完全ではないにせよ、自分の労働と自分の生活が直接つながっていた。産業革命以後の労働者は、自分が何を作っているのかすら分からないことがある。巨大な機械の一部分だけを担当し、完成品を見ることなく、賃金だけを受け取る。
自分の労働が、自分の人生から切り離される。マルクスはこれを「疎外」と呼んだ。だが難しい言葉を使う必要はない。要するに、「自分が何のために働いているのか分からなくなる」ということだ。
そして、分からなくなった人間は、疑問を持たなくなる。
なぜ自分はこんなに働いているのに貧しいのか。なぜ工場の持ち主はあんなに豊かなのか。なぜ自分の子どもも同じように工場で働かなければならないのか。これらの疑問は、日々の疲労の中で消えていく。朝が来れば工場に行く。夜が来れば眠る。それを繰り返すうちに、疑問を持つこと自体が贅沢になる。
資本家たちは、この状態が続くことを望んだ。当然だ。労働者が疑問を持たず、毎朝工場に来てくれることが、利益の源泉なのだから。
だが「望む」だけでは不十分だ。労働者がいつか目覚めるかもしれない。疑問を持ち始めるかもしれない。仕組みに気づくかもしれない。
だから、気づかせない仕組みが必要になった。
それが次の章で書く、教育だ。