第12章 素手で氷の崖を登れるのか?
― AIと企業の残酷な関係
私自身の話をする。
この本を書いている私は、広告とAIの会社に関わっている。小さい会社だ。これからの会社だ。成功した人間の話をして参考にさせたいのではない。クレバスを見てしまった人間の話をしている。
私のキャリアは、同時代では実は平凡なものだ。
私が所属した広告会社には古くから、出世する側の人間と、面白いことをやろうとする側の人間とが、良い形で共存していた。本来、広告の仕事は面白いものばかりで、アイデアは常に無限にある。だがアイデアを実施し、挑戦を続ければ、失敗も増える。失敗は管理する側——つまり出世した側から見ればリスクだ。だから自然と、出世型とアイデア型に分かれていた。
私は典型的な後者だった。
スポーツの大会を企画した。音楽フェスを立ち上げた。SNSの番組を作った。だがこれは私の独創ではない。周りの先輩たちが同じように挑戦を続けてきたものを、私が模倣したに過ぎない。会社の出世サイドはそれはそれで必要だが、面白い仕事をやりたいという人間もたくさんいて、その両者が共存する微妙なバランスがあった。
少し前の成長する大企業には、このバランスがあったと思う。管理と、成長エンジン。守りと、攻め。その二つが共存していた。だからゼロから何かが生まれる瞬間——ゼロがイチに変わるあの感覚——を、組織として保有していた。
このバランスが、いつの間にか失われた。何がそうさせたかをここで細かく書くつもりはない。なぜならこの本はAIの話が主題で企業史の話ではないからだ。一つだけ言えるのは、管理の支配が年々強くなり、挑戦の余地が年々狭まったということだ。そしてその変化は、多くの会社で、多くの人が、肌で感じているはずだ。
おそらく、この二十年で、日本の大企業の会議というものは変化したはずだ。
議事録の確認。前回決定事項の進捗確認。リスク項目の洗い出し。関係部署への共有事項の確認。承認フローの確認。セキュリティチェックリストの確認。コンプライアンス上の懸念がないかの確認。調整事項、管理確認事項、再確認、再再確認、それら全てのシステムへの入力、、。
確認、確認、確認。
ゼロをイチにする会議ではない。イチをゼロに戻さないための会議だ。
ここに、残酷な皮肉がある。
確認、手順、安全、合意、進捗管理、リスク評価、スケジュール調整、議事録作成。これらは全部、AIが最も得意とする仕事だ。
日本の企業から、成長エンジンが消えかかっている。消えたのではない。管理が肥大して、エンジンが窒息している。管理に特化した組織は、AIに最も代替されやすい組織だ。
皮肉が二重になっている。挑戦を捨てて管理に逃げた結果、その管理がAIに奪われる。逃げた先が、崖の縁だった。
では、崖を登れる人間はどこにいるのか。
組織の中にはもういない。組織が追い出したからだ。追い出された人間は、個人で動いている。小さな会社を作り、フリーランスになり、あるいは副業として、ゼロイチを試みている。彼らに共通しているのは、管理のハードルがない環境を自分で選んだことだ。合意を取る相手がいない。自分で決めて、自分で動く。失敗しても、報告書を書く必要がない。
だがこの話を美談にしてはいけない。
第9章で書いた。梯子は動く。資本の壁がある。何を学べばいいか分からない。蜘蛛の糸に殺到して糸が切れる。個人で崖を登ろうとしている人間の大半は、途中で落ちる。登り切った人間も、登った先でまた崖に直面する。AIが進化するたびに、昨日の足場が崩れる。
素手で氷の崖を登る。手はかじかんでいる。氷は溶けて、掴んだ次の瞬間に形が変わる。それでも登るしかない。止まれば滑り落ちる。
これは成功の話ではない。生存の話だ。