第14章 五年後、あなたはどこにいるか
十三章にわたって、厳しい話を書いてきた。最後は、少しだけ前を向いて終わりたい。
この本を書いたのは、私自身がクレバスと名付けたものを実際に幾度も見てしまったからだ。毎日AIと格闘し、仕組みを作ろうとし、失敗し、また作り直していると、この本で書いたような場面は常々出現する。見えてしまったものを、書かずにいられなかった。
ただ、見えたものは、暗いものだけではない。
五年後、「一人で百人分の仕事をする人間」が当たり前になる。一人の人間がAIを使って、商品を企画し、広告を作り、顧客対応を回し、経理を処理する。アメリカではすでに、従業員ゼロで売上数億円の一人会社が生まれている。日本でも、同じことが静かに始まっている。
九十九人が不要になるという話は衝撃かもしれない。だが同時に、組織の中でしか生きられなかった人間が、一人で組織を持たずに大企業のように独立して立てるようになるという話でもある。檻の扉が開く。扉の外は安全ではない。だが、閉まっているよりはましだ。
ただ門が開いている時間は、長くない。今から二年くらいだと自分は予測している。なぜ二年なのかは、この本を最初からもう一度読んでもらえれば、分かると思う。厳しいことを言っている自覚はある。私自身、偉そうなことを言える立場ではない。だが、見えているものを黙っているよりは、言葉にした方がいい。少なくとも私はそう信じて、この本を書いた。
最後に、子どもたちのことを書く。
前の章で、子どもたちに渡すべきものは知識ではなく「姿」だと書いた。だが、知識に価値がなくなったということではない。知識を持つこと、学ぶこと、考えること。それは人間にとって、変わらず尊い。この本もまた、一つの知識にすぎない。知識を通じて「人間にできることは何か」を問い続けること自体に、私は希望を感じている。
AIが情報を処理してくれる時代である。人間が一生かけても読みきれなかった量の本を、AIは一日で読む。それは知的活動の終わりではなく革命的な始まりだと思う。知識の重荷を降ろした先に、人間がまだ見たことのない産業の地平線がある。AIの時代に何が生まれるかは、まだ誰にも見えていない。まだ誰も作っていないからだ。
でもそれは作る人間が現れれば、見える。その人間は、あなたかもしれない。あなたの子どもかもしれない。私はその地平線に向かいたいと思っている。